明治のルイス・キャロル A @ B C
明治のルイス・キャロルA永代静雄と「トランプ国の女王」 川戸道昭 (『翻訳と歴史』第3号、2000年11月30日刊、より) 日本におけるルイス・キャロルの紹介は、最初に『鏡の国のアリス』が紹介され、次いで『不思議の国のアリス』が紹 介されるというように原作とは異なる順序で発表された。前回第1回目の本欄では、『鏡の国のアリス』の本邦初訳を取 り上げたので、今回は『不思議の国のアリス』の初訳について紹介する。それが掲載されたのは、明治41年2月創刊の 『少女の友』(実業之日本社)という雑誌で、その1号に「黄金の鍵」が、2号に「トランプ国の女王」(同3月)が、3号に「海 の学校」(同4月)が、それぞれ掲載されている。題名からも推察されるように、原作に忠実な翻訳というよりは、作中の 興味深い話をところどころ抜粋して、各号読み切りの物語に仕立てた翻案作品である。作者は「須磨子」とのみ署名さ れているが、じつは、その紹介者は田山花袋の『蒲団』のモデルとなったといわれる永代静雄(1886―1944)であった。 第1号が発表された明治41年2月というのは、『蒲団』の発表からわずか5ヶ月後のことで、世間の関心は専ら花袋自身 の私生活、とくにその美貌のまな弟子・岡田美知代との関係に注がれていた。そんな衆目環視のなかで、美知代の恋 人であり後に彼女の夫ともなる永代静雄が匿名でつづった『不思議の国のアリス』の紹介とは一体どんな種類の紹介 であったのか。それが生まれた背景にも大変興味がもたれるので、永代静雄という人物の経歴や文筆家としての才能 にも焦点を当てながら内容の点検を試みることにする。 ルイス・キャロルの作品といえば、すぐに想い起こされるのは作中随所にみられる言語的遊戯である。たとえば、『鏡 の国のアリス』を例に取ると、第六章に登場するハンプティー・ダンプティーが口にする、「二つの意味が一つの語の中 に詰め込まれている」、いわゆる「かばん語」である。前回にも紹介したとおり「鏡世界」の翻訳者・長谷川天渓はそうし た言葉あそびにはまったく歯が立たず、単にそれを無視するというかたちで済ませてしまった。それに対して永代のほ うはどうか。そうした言語の多義性や言葉あそびにも多少なりとも注意を払う姿勢を示しているのか。 第1作目の「黄金の鍵」をみるかぎり、訳者は、どうもそうした方面にはあまり関心を向けていないように思われる。物 語は、主人公のアリスが一匹の兎の後を追いかけて、穴の中へと入ってゆき、テーブルの上に置いてあった薬を飲ん で体が小さくなったり大きくなったり、涙の池に落ちたり、と原作どおりに進んで行くが、訳者の関心はどちらかというと 原作の筋を追うことのほうにあって、主人公が心中に展開させる自問やさまざまな連想にはあまり注意が払われてい ない。これもまた天渓の「鏡世界」同様、単なるあらすじの紹介にすぎないのかと思っていると、第2回の「トランプ国の 女王」になって雰囲気は一変する。そこに登場する最も個性豊かなトランプ国の女王とアリスの間で、相互に発する言 葉の意味がかみ合わない次のようなエクセントリックな会話が紹介されるのである。 《〔女王は〕『これ娘、お前の名は何と云ふ。』/と訊ねました。アリスは丁寧に、/『私はアリスと申します。』と答へまし たが、心の中では『何と云ふ威張り方だらう。皆なカルタの癖に。私は些とも恐ろしいかないわ。』と思ひました。/女王 は、其処に倒れてゐる三人の者を見て、/『これは誰だい。』/とアリスに訊ねました。立ってゐれば解るのですが、こ んなに俯伏に臥てゐれば、カルタの裏は皆同じですから、誰が臥てゐるのか知れないのです。/『どうして私がそれを 知るものですか。』とアリスは答へました。そして又、『その人たちと私とは何の関係も無いぢゃありませんか。』と申しま した。/女王は、はったとアリスを睨みつけて身体を震はしながら、暫らくは野獣の様にブウブウ呻ってゐましたが、急 に大きな声で、/『首を斬れ! この娘の首を斬れ!』と叫びました。》 「トランプ国の女王」は、(上)(下)二章からなる(上)篇に原作第八章の「女王のクロケー場」のストーリーが、(下)篇 に第12章の「アリスの証言」のストーリーが収められているもので、原作の2章分をわずか8ページに紹介したというのだ から、さぞかし粗っぽい紹介だろうと思っていると、意外にも、ここに登場する女王のように、ふた言目には「首を斬 れ!」を繰り返す女王の常軌を逸した言動など、原作の内容を忠実に反映する箇所もみられ、これはこれで充分楽し める『不思議の国のアリス』の紹介となっている。物語は(下)篇に至って、裁判の場面に変わるが、原作の9章から11 章までが省かれた関係から罪人となるはずのハートのジャックが出てこない。そこで永代は、急遽、アリスを罪人に仕 立て法廷に立たせるという離れ業をやってのける。その罪状はアリスの体が次第に大きくなってきたというもので、それ をめぐる王様とアリスの問答がまた大変ふるっている。 《「王様は……急に何か手帳に書いて、そして『静まれ!』と、一同へ申し渡して。/『勅令、第五十二条。一哩より高き 者は、何者にても此の宮を去るべし』と読みました。/皆、一時に、アリスの方を見ました。/『私は、一哩なんて、そん なに高くは無い。』とアリスが申しますと、王様は、/『いや、一哩以上だ。』/と云ふ。王様の言葉に次いで女王が、/ 『否々、二哩以上です。』/と申しました。/『何でも好いわ、私は何処へも行かないから、それに、その規則は正しく有 りません。たった今、書いたばかしぢゃありませんか。』/と、アリスが申しますと、王様は、あわてゝ/『いや、これは此 の手帳の中で、一等古くからある規則ぢゃ。』/『一等古くから有る規則ならば、第一条で無ければなりません。貴君は 今、第五十二条と云ったでせう。』/と云ったアリスの言葉を聞いて、王様は真蒼になりました。/今まで黙って二人の 問答を聞いてゐた女王は、この時 顔を真赤にして、かみつく様な声で、/……『アリスの首を斬れ!』》 これは実に緩急自在な翻案作品である。原作のストーリーを大きく作り替えてしまった箇所があるかと思えば、上に 引用したアリスと女王の会話や王様とのやり取りのように、原文を細部までかなり忠実に再現している箇所もある。こ れを前に掲げた天渓の「鏡世界」と比較してみるとその違いがよく分かるだろう。「鏡世界」の方はただ原作の筋を大掴 みになぞっているだけで、細部にまで関心を及ばせている箇所はほとんど見あたらない。ところがこの「トランプ国の女 王」の方は、話の筋に関しては「鏡世界」同様、原作の筋をごく大ざっぱに紹介するだけで原文を無視した箇所も少なく ないが、その一方で、物語のところどころに原作をかなり忠実に再現した会話をはめ込むことによって、原作にみなぎ るナンセンスな雰囲気を醸し出すのに一定の効果をあげている。しかも、文章がいたって平易・明快な文章ときている ので、面白さの本質は当時の少年少女にも十分理解可能なものであった。この永代の翻案作品は、日本における児 童文学の先駆けというばかりか、日本におけるナンセンス文学の先駆けとしても永く記憶にとどめなければならない作 品ということになるだろう。 永代はこのあとさらに「海の学校」と題して、原作の9章「ニセ海ガメの話」と10章の「えびのダンス」の一部を紹介してい る。内容は「トランプ国の女王」同様、原作の大筋をなぞりながら、そこに出てくる会話を再現するというやり方で、それ なりの面白さは伝わってくるが、しかしその一方で当然限界もみられる。翻訳に際して一番の障害になったと思われる のは、やはり例の同音異義語や二重義語、擬音語などを駆使した言葉の遊戯である。たとえば、そこに出てくる「ニセ 海ガメ」がいうには、彼が学校で習った授業は、初日は10時間で、次が9時間とだんだん減ってくる。アリスが「奇妙な時 間割ね」というと、彼はすかさず「だから授業というんだよ」と答える。これは英語の「授業」に当たるlessonが「減ずる」を 意味するlessenと同音異義語で、それをかけた言葉の遊びと知ってはじめて面白さが理解できるというものである。現 在の英語・日本語に通じた翻訳者ならば、「授業」と「減ずる」に相当する適当な日本語を見つけて日本語版の洒落に 置き替えていくところだろうが、永代は、単にニセ海ガメの「だから授業というんだよ」の押さえの一言を省くという形で 対処した。それがために会話の妙味はまったく失われる結果に終わってしまっている。 これはまだしも単純な例で、キャロルの作品にはその外にも日本語に訳しがたい表現が数限りなく登場する。たとえ ば、同じ第九章で、アリスがニセ海ガメに学校の課外授業で「フランス語と音楽」を習ったというと、ニセ海ガメはすかさ ず「洗濯は?」と聞き返す。われわれはなんでこんなところに「洗濯」が出てくるのかとびっくりするが、それは、当時の 寄宿学校の領収書にきまって「French, music and washing-extra」と書かれていたことを受けた言葉遊びなのだ。つま り、フランス語と音楽と日々の洗濯には「特別料金(extra)」が請求されるという請求書の意味を、そこにある「特別料 金」のextraと「課外授業」のextraをかけて洒落に仕組んだというわけである。これなどはうっかりすると現在の翻訳者 だって、意味を掴みそこねる恐れのあるもので、英・米で広く出回っている「注釈版・ルイス・キャロル」に頼らずには正 確な翻訳もままならないということになる。永代はこの言葉遊びにもまったく歯が立たなかったとみえ、「洗濯」を「水練」 にかえて、「貴方達は水の底に居るんだから、水練なんて習はんでも好いでせうに」と、違った種類の笑いに変えてい る。 西洋の文学作品、とくにキャロルのそれのように使用されている言語そのものに興味の大半が依存している文学作 品を日本語に移し替えることの難しさや空しさは、現代の翻訳者であればだれもが痛感しているはずのものだが、そこ は明治人の特色だろう。永代はそんなことには一切構わずに、さらなる創作活動に意欲を燃やしていった。そして、な んと『不思議の国のアリス』の続編を思いつくに至るのである。彼は同じ『少女の友』に、キャロルの作品とはまったく別 種の「アリス物語」を連載する。それは「海の学校」が終わった直後の41年5月にはじまって、翌年の3月にいたるまで、 延々11ヵ月にもおよぶ長期の連載であった。その内容をみるに、「真珠国」を訪れたアリスが、そこに囚われていた「大 悪龍王」の甘言にのって彼を逃がしてやったことから、自分自身カモメに変えられてしまうといった話で、おおよそ原作 とは似て非なる凡庸な物語である。やはり永代にも、キャロルの作品の本質が奈辺にあるか明確にはつかめていなか ったということになる。 永代が『不思議の国のアリス』をどのように理解していたかについては、『少女の友』に連載された「アリス物語」が一 篇の書物にまとめられ、1912(大正元)年に東京の紅葉堂書店から発行された際に、「はしがき」の中にその内容が示 されている。それによると、彼はアリスという少女をこんなふうに理解していた。 《アリスは空想の子である。理窟を離れて空想の世界を飛行したところに、アリスの面目が躍つてゐる。一体我々は何 かの空想無くして活き得る者ではない。事実を歴史の父とすれば、空想はその歴史を生む母である。空想に親しむこと は、やがて新らしい歴史を築く手段だとも云へよう。私は諸君に空想の力を説きたい。/正しく、美くしい空想―そこに アリスの無邪気と、同情と、快活と、熱心と、そして正義を求める心とが育くまれた。私はこの物語の多くの愛読者たち に、アリスを学んで、さうした空想的気分を養はれるやうにお勧めしたいと思ふ。》 要するに、永代にとっての『不思議の国のアリス』とは、主人公の「正しく、美しい空想」が創りだした冒険物語であっ た。それが、この物語に対する彼の理解の本質であったことは、第四回以降の「アリス物語」の内容をみればすぐに解 る。真珠国に囚われていた「大悪龍王」の甘言にのってうっかり彼を逃がしてしまったアリスは、龍王の手でカモメに変 えられてしまう。しかし、幾多の艱難辛苦を経た後に、「真珠老王」に助けられ、最終的にはその後継者の「月麿」の結 婚相手となって、めでたく物語の幕を迎えるという話の内容は、おおよそナンセンスな笑いなどとは無縁のものである。 日本のSF・怪奇小説の歴史に詳しい横田順彌氏は、永代静雄を「SF作家」と受けとめているが(「明治時代は謎だら け!/SF作家としての永代静雄(2)」『日本古書通信』第61巻8号)、永代の文学に対する興味の中心が「空想」が生 みだすさまざまな冒険奇談にあったことは、この『アリス物語』をみても間違いないところである。 それはそうと、永代は一体この『不思議の国のアリス』の原書をどこで手に入れたのだろう。それについては、さきほ どの「はしがき」の中にこうある。 《アリスの本家は英国である。私は曾て早稲田大学の教授内ヶ崎愛天先生から、キャロールといふ人の書いた『アリス の奇界探検』といふ本を拝借して読んで、非常に面白いと感じた。それで、その中の特に面白さうなところを、三四回に 訳して、その頃創刊の『少女の友』の初号から続けて寄稿した。それが幸いに読者の歓迎を受けたので、以下引続い て、私の中にゐたアリス嬢を活動させることになつた。謂はゞ日英同盟合体のアリスなのである。》 永代は、明治39(1906)年4月、20歳で早稲田大学の「高等予科文科」に入学するが、同年7月には体調を崩し、10月 には同大学を除籍になっている(群馬県館林市の田山花袋記念館が平成3年11月に開催した「永代静雄展」で配布さ れたパンフレットの「永代静雄略年譜」による)。したがって、ここにあるように同大学の教授であった内ヶ崎愛天(作三 郎)から『不思議の国のアリス』の原書を借りて読んだのは、おそらく彼が早稲田に在学した6ケ月間のことであったと 想像される。それは、ちょうど、彼と岡田美知代のことが花袋の『蒲団』に取り上げられる1年前のことであった。岡田と はその前年に京都において親密な仲になり、彼は当時在籍していた同志社をやめて彼女を追って上京、その後『蒲 団』に記されているような事態へと発展していく。そのような多事多端な中で原書を借り受け、そして翻訳されたのが、 彼の「黄金の鍵」や「トランプ王国の女王」の翻訳であったというわけだ。日本における『不思議の国のアリス』紹介の第 1号が、そうした文学史上に名高い事件の渦中にあった人物によってなされたということ自体大変興味深いことだと思う が、われわれがここで注目すべきことはそれ以外にもう一つある。すなわち、ルイス・キャロルの紹介と早稲田大学出 身者の関係である。前回紹介した「鏡世界」の翻訳者長谷川天渓も早稲田大学の前身の東京専門学校の出身者であ ったし、次回取り上げる予定の日本で最初の『不思議の国のアリス』の全訳『愛ちゃんの夢物語』(内外出版協会、明 治42年2月)を世に送った丸山英観も早稲田大学「英文学科」の卒業生(明治41年)であった。つまり、日本で最初のア リスの冒険譚の紹介は、3篇ともに早稲田大学の関係者によってなされた紹介であったということである。とくに、『不思 議の国のアリス』を紹介した永代と丸山は、早稲田在学の時期も重なっているところから、その背景には内ヶ崎作三郎 の存在があったものと思われる。その内ヶ崎の存在も含めて、今日世界で最も愛読されているアリス物語を日本に移 植する上で、早稲田大学関係者が果たした役割にわれわれは大いなる関心を寄せてみなければならないだろう。 最後に、永代のその後の経歴を、先ほどの「略年譜」によって簡単に記しておくと、永代は美知代との間に一男一女 をもうけ、大正6年に美知代を永代家に入籍させるが、その後両者はともに異なる相手と結婚、それぞれの人生を歩 む。主な職歴としては、富山や福岡で記者をした後に、東京毎夕新聞に入社、編集局長等を歴任した後、大正8年に同 社を辞し、新聞研究所を開設。昭和15年に同研究所が廃止されるまでその発展に貢献するが、昭和19年、腸チフスの ために死去。主な著・訳書としては、『新島襄言行録』(内外出版協会、明治42年)を初め、『アリス物語』(紅葉堂、大正 元年)、『都会病』(ルネ・バザン著、永代訳、大正3年)、『画家の妻』(ドーデ著、永代訳、大正3年)等、私の把握してい るものだけでも10点近く存在する。 〜「明治のルイス・キャロル B」へ続く〜 |