今わたしの手もとには、一八七三年にロンドンで発行されたジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』 の英訳本〔注1〕がある。ヴェルヌの英訳を数多く手がけたことで知られるサンプソン・ロウ社か
ら出版されたもので、『地球から月へ』と『月世界一周』が一冊に収められている。一方その傍らに は一八八〇(明治十三)年に、井上勤が大阪の出版社から刊行した『月世界旅行』の邦訳本〔注2〕
がある(『地球から月へ』の訳、明治十四年三月第十巻刊了)。そこには「此書ハ……米国チカゴ府『ドン 子リイ、ロイド』商会ノ発兌ニ係リ」とあるから、わたしが所有するサンプソン・ロウ社の英訳書
を用いた翻訳ではないことは確かである。しかし、直接の底本ではなかったとはいえ、両書を細かく照合してみると、井上の翻訳をみただけではよく判らなかったおもしろい事実がいろいろ浮かびあがってくる。それらの事実をもとに、黎明期の翻訳文学がおかれていた状況について二、三気が
ついたことを書きしるしてみることにする。
ヴェルヌの『月世界旅行』、正確にいえば『地球から月へ』〔注3〕(De la Terre a la Lune)という作品 がフランスで発表されたのは一八六五年、すなわち日本の年号に置き換えると慶応元年のことであ
った。日本がいまだ泰平のねむりから覚めやらぬ徳川の治世に、西洋では、すでに宇宙を視野に入 れた壮大な構想のサイエンス・フィクションが人々の心を魅了していたというのである。参考までに、物語の概要を簡単に紹介するとこういうものだ。舞台となっているのはアメリカ・メリーラン
ド州、ボルチモア。そこに本拠を構える銃砲製造会社の社長が、ある日、全社員を一堂に集めてい うには、独立戦争の終結以来、近頃は戦火も途絶えて、われらが精を凝らした大砲も霹靂天地を振
動させる機会がすっかり失われてしまった。今はただ次なる大戦の機会を座してまつよりほかはな いという状況にあるが、われわれとしてはそんな消極的な姿勢であってはなるまい。今こそ、わが
社員を再び有用の士となすべく、コロンブス以来の一大事業に乗り出すときである。すなわち月に 有人の巨大弾丸を打ち込み、かの地を精査探索の上、できることなら合衆国の第三十六番目の州に
加えようではないか、と。勇ましさにかけては、かのレーガン大統領がスター・ウォーズ計画にお いてぶちあげた怪気炎にも劣らない。最近では、テロ組織の壊滅に腐心するブッシュ大統領が「悪
の枢軸」を想定して練り上げた戦略構想にもひけをとらない壮大な計画である。舞台をヴェルヌの 祖国フランスではなく、トゥリガー・ハッピー(銃砲の発射が大好き)なアメリカとしているところ
が、まるで百数十年後の未来を言い当てているようですこぶる妙だ。
ヴェルヌのこの作品が発表された当時、日本は、いまだ、列強諸国に対して国の門戸を開く開か ないでゆれにゆれていた幕末の動乱期にあった。そのような時代に海の向こうでは現在の宇宙戦略
構想を彷彿させるようなサイエンス・フィクションが人々の心を捉えていたというのである。われ われは、西洋と東洋の間に存在した文明上の落差というものにあらためて大きな驚きを感じないわ
けにはいかない。しかし、一八六五年という時点では天と地ほどもあったその落差も、ひとたび日 本の門戸が開放されるや、西洋の文物を驚嘆のまなざしで仰ぎ見る人々の手でみるみるうちに埋め
られていった。その底流に存在した〈文明憧憬〉のエネルギーがどれほどすさまじいものであった かは、イギリスで一八七三年にはじめて英訳された『月世界旅行』が、わずか七年後の一八八〇年
に井上勤の手で翻訳されるという事実一つをとってもわかる。シェイクスピアもディケンズもいま だその主要作品の梗概さえ知られていなかった時代に、ヴェルヌのサイエンス・フィクションだけ
は井上をはじめとする何人かの手によって翻訳され読書界に出回っていたというのである。人々が そこに見いだしたのは、西洋文明がわれわれ人類にもたらしてくれるであろう無限の夢と可能性で
あった。彼らはその夢と可能性が一つ一つ具体的なかたちで描き出されたヴェルヌの作品をひもと くことによって心に激しく燃えさかる文明への飢餓感を満足させる一つの手段としていったのである。
井上勤の『月世界旅行』は、数あるヴェルヌの翻訳作品の中でも川島忠之助の『新説 八十日間世 界一周』〔注4〕(明治十一年前篇発行)に次いで二番目に古いものであったが、その翻訳でとくに注目
を要するのは、柳田泉も指摘するように、「漢文口調と和文調を七分三分にまぜた」、いわゆる「周密文体の先駆」〔注5〕と目されるような一種独特の文体である。われわれ現代人の感覚からすると
やや古めかしいという感じは否めないが、当時の人々にはそのような伝統的な日本語の響きをとど めた文章がかえって魅力となっていたようで、泉鏡花を初めとして彼の文章を愛好した読者・知識
人は少なくなかった。鏡花は同じ井上の訳した『アラビアンナイト』〔注6〕(明治一六年刊)を評し て、「初めて本を読む時にアラビヤンナイトを読んだ位の心持のものは、なかなか出」てこないと賛
辞を贈っている〔注7〕。同じことは『アラビアンナイト』の三年前に発表された『月世界旅行』に おいてもいえることで、たとえば、物語の終盤におかれた巨大弾丸が月に向かって打ち上げられる
場面は、次のような力強い簡潔な文章でつづられている。
《三十五秒、三十六秒、三十七秒、三十八秒、三十九秒、四十秒 放火 一発の砲声、天地も為に粉末となりたるかと訝るばかりの大振動にして、其振動は、古今天地
間に於て譬ふる物なく、亦た固より之が景況の一端を名状たるも、言辞の適すべきなし。弾丸 天に冲するの後、火煙一帯天地を蔽ひ、恰も火煙の一世界を現出したるに似たり。万衆は皆な
悉く唯火煙のみを見て、弾丸の飛行を見得たるもの一人としてあらざりしとかや。》〔注8〕
"Thirty-five!―thirty-six!―thirty-seven!―thirty-eight!―thirty-nine―forty!
Fire!!!"
An appalling, unearthly report followed instantly, such as can be compared
to nothing whatever known, not even to the roar of thunder, or the blast
of volcanic explosion! No words can convey the slightest idea of the terrific
sound! An immense spout of fire shut up from the bowels of the earth as
from a crater. The earth heaved up, and with great difficulty some few
spectators obtained a momentary glimps of the projectile victoriously cleaving
the air in the midst of the fiery vapours! 〔注9〕
井上が用いた英訳の原本が入手できないので代わりにサンプソン・ロウ社版の英文を掲げておい たが、これと比べてみても、発射前の秒読みから、その直後の天地を揺るがす大振動、さらには目
にもとまらぬ速さの弾丸の「飛行」にいたるまで、その要所要所をきちっと押さえた翻訳となって いる。「三十五秒、三十六秒、三十七秒」と秒刻みのカウントダウンならぬカウントアップを原作ど
おり一字一句違えずに訳出することによって発射直前の緊迫した空気を伝えようとする手法の新し さ、あるいはその緊迫した空気によくマッチした力強い響きの翻訳文体、さらには、二十八章に分
かたれた原作の物語をきちっと「二十八回」分に区切って、各章ごとにその要点を簡潔な文章で訳 出しようとする真摯な翻訳態度、そうしたいくつかの要素が相まって、このように明治十年代前半
の他の文学作品には例をみない斬新な趣向の翻訳作品が出現したとみることができるだろう。細部 の描写といい、作品全体の構成といい、これは間違いなく明治十八年に発表された『諷世嘲俗
繋思 談』の先駆をなす翻訳作品といえる。そこに用いられている翻訳文体にしても、西洋文学にそなわ る「精緻ノ思想」を写しとるための新たな文章の創造を目指して考案された『繋思談』の翻訳文体
に先行する画期的な文体とみて間違いない〔注10〕。
想像して余りあるのは、この書物を手にした明治十年代の人々の心の裡である。国の扉が開かれ た途端に、彼らの眼前に現れたのは、国境ばかりか宇宙の扉を開いてみせるというとてつもない構
想の作品であった。明治の知識人たちはこの彼我の文明の差をまざまざと見せつける書物を一体ど んな思いで受けとめたのか。まったく理解の埒外にあるものとして放り出してしまった人も少なく
なかったに違いない。しかし、時はあたかも文明開化の世の中である。ヴェルヌの空想科学小説を 空高く舞い上がらせるだけの科学熱が吹き荒れていた。そうした風を頼りに『月世界旅行』の翻訳
に乗り出したのが、ほかでもない明治前半の翻訳文学界の最大の功労者・井上勤であったというわ けである。それを訳したのが「周密文体」の先駆者ともいわれる井上であったということは、当時
の読者にとって限りなく幸運なことであった。日本のSF小説はそれが緒につく当初から一定水準 の精度と質が確保されることになったのである。
井上の『月世界旅行』で注目しなければならないのは、こうした巧みな文章表現に加えて、もう ひとつ、合計二十二葉にも及ぶ精巧な銅版画の存在である。それは西洋の事情に通じていない読者
の想像力を助けるべく、各巻にそれぞれ二葉ずつ(一巻のみは四葉)挿入されているもので、たとえ ば先に引用した文章には前ページに掲げたような挿絵が添えられている。右端に「大阪響泉堂銅刻」
の文字がみえるところから、日本で制作されたことは間違いないが、一見してわかるように、何か 西洋の原画を下敷きにして描かれた印象が強い。そこで、先ほどのサンプソン・ロウ社の『月世界
旅行』の英訳本と照合してみると、大変興味深いことに二十二葉の挿絵すべてが英訳本(フランスの オリジナル版にも同じ挿絵が付いている)に由来するものであることがわかった。この翻訳は訳文ばか
りか各巻に挿入された挿絵までもが原本からの翻刻であったのである。
サンプソン・ロウ社が発行した一八七三年の英訳本は、ブルーの表紙に金と黒で巨大弾丸が月に 発射される様子が描かれた美装本で、扉を開くと目に飛び込んでくるのは、その弾丸が蒸気機関車
のように四連の客車を引いて月に向かっていく様子を伝える銅版画である。弾丸には黒煙をなびか せる煙突がみえ、客車の一つ一つには車窓がついていて人間らしきものが顔をのぞかせている。ま
るで宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点を想起させるような描写である。この口絵をはじめ として、本書には『月から地球へ』の部に四十葉、『月世界一周』に同じく四十葉の銅版画が添えら
れている。全文が三百二十頁ほどのものだから、ほぼ四頁に一葉の割合で挿絵が付されていること になる。イギリスで発行された他の英訳本はこれとは異なる挿絵を掲載しているところから、井上
が使用した原書というのはこのサンプソン・ロウ社の英訳と何らかの点でつながりのある書物であ った可能性が高い。
ともあれ、月世界旅行の一部始終を豊かな想像力をもって描き出したこれらの一連の銅版画は、 今でいうならば、さしずめ最新のSF映画、ないしは宇宙飛行のテレビ中継にも相当するものだろ
う。アメリカの国旗で飾られた巨大弾丸が人に見守られながら打ち上げ台(砲台)に運ばれていく 様子といい、宇宙ロケットさながらの弾丸の内部の様子といい、さらには火煙とともに勢いよく空
に向かって発射される砲弾の状況といい、現在の宇宙ロケットの打ち上げ状況とも不思議に重なり あうものがある。実際、アメリカのアポロ計画における宇宙船(九号)は、ヴェルヌの小説と同じ
ように、フロリダ州から打ち上げられて太平洋上に着水する。宇宙船の重さも同じならば、高さも 同じ、着水した場所にいたってはわずか二マイル半の違いしかなかったというように、ヴェルヌの
小説との神がかり的ともいえるような一致点が見出だされる〔注11〕。
井上の翻訳にはこうした現在の宇宙飛行とも不思議に重なりあう全四十葉(『月から地球へ』)の原 画のうち、二分の一強に相当する二十二葉が翻刻され掲載されている。それは、原作のもつ醍醐味
を可能なかぎり再現していきたいという翻訳者・出版者の意図を視覚的に象徴する精巧細緻な銅版 画であった。それらの二十二葉の挿絵が開国後間もない明治の人々の心に呼び起こした興奮は、お
そらく今日われわれが日本人の乗り込んだスペースシャトルの打ち上げをテレビ画面で見守るとき の興奮にも似たものがあったと想像される。百数十年前の視覚媒体が引き起こしえた興奮としては、
他を寄せつけない圧倒的な迫力を伴うものであったに違いない。
忘れてならないのはこの作品が発表されたのが、坪内逍遥の『小説神髄』が公にされる五年も前 のことであったということである。そんな独自の創作文学さえまともに存在しない時代に、日本の
読者はすでに欧米で流行したサイエンス・フィクションのおもしろさを丸ごと伝える作品を享受す ることができたのである。多少大袈裟なものの言い方を許してもらえば、日本の文学は、ことSF
という分野にかぎってみるならば、『竹取物語』の世界から一気に『宇宙戦艦ヤマト』の世界へとタ イムスリップしたような感じさえする。
井上の『月世界旅行』の銅版画をみるたびにわたしの脳裏をよぎるのは、日本の近代文学は決し て一般の文学史などで言い古されてきたような型どおりの筋道をたどって今日の状況にいたったの
ではないという確信にも似た想いである。
注 (1)From the Earth to the Moon Direct in 97 Hours 20 Minutes; and a Trip
round It, translated by L. Mercier and E. E. King, Sampson Low, Marston,
Low, and Searle, London, 1873.
(2)井上勤『九十七時二十分間 月世界旅行』(@三月、A五月、B九月、C一〇月、D一一月、E〜I一 四年三月)@〜D黒瀬勉二出版、D〜I三木美記出版。
(3)De la Terre a la Lune, trajet direct en 97 heures. 2pt. Paris, 1865-1869.
(4)川島忠之助訳『新説 八十日間世界一周』川島忠之助出版、前編・明治一一年五月版権免許、後編・ 明治一三年六月出版御届。
(5)柳田泉『明治初期翻訳文学の研究』(春秋社、一九六一年九月)五五頁。
(6)井上勤『全世界一大奇書 原名アラビヤンナイト』(明治一六年から一〇冊分冊にて刊行)。分冊本の 原本を目にしていないために出版元は不明だが、明治一八年以降大野堯運をはじめ何人かの出版者が
同書を二冊ないしは一冊にまとめて刊行している。
(7)「新潮合評会 第二三回 (文壇思ひ出話)」『新潮』四二巻四号(新潮社、一九二五年四月)一四四 ―四五頁。
(8)井上勤『九十七時二十分間 月世界旅行』第一〇巻、一二頁。同版は仮名がカタカナ表記で読みにく いため、ここでは一八八六年九月刊行の合本再版から引用。『九十七時二十分間
月世界旅行』(三木佐 助、一八八六年九月)二七一―七二頁。
(9)From the Earth to the Moon, pp.136-137.
(10)『諷世嘲俗 繋思談』が初期の翻訳文学の流れを一新する上で果たした革命的な役割については、拙稿 「リットンの小説と初期の翻訳文体」『リットン集』明治翻訳文学全集《新聞雑誌編》14(大空社、二
〇〇〇年一〇月)三八三〜四一六頁参照。
(11)Jean Jules-Verne, Jules Verne, Macdonald and Jeane's, London, 1973.
p.93.