江戸時代庶民文庫 94巻 妙祐往生伝ほか
第2期第7回(全5巻・91~95巻)配本所収
発行年月:2021年5月
価格:19,800円(本体18,000円+税10%)
ISBN:978-4-86688-094-5
体裁:A5判・400頁・上製・クロス装
特記:分売可
【ジャンル】書名(主な作者/刊行年など)
【伝記】
○妙祐往生伝(渋谷芳忠/元禄14年)
○越後孝婦伝(林鳳谷/寛保2年)
○義士夜討高名咄(承天則地/享和3年)
○〈江州日野〉孝子善治行状(門坂善太郎/文化1年)
○百姓逸八後家はつ孝義状(野田松三郎/文化4年)
○孝子奇特を書出(作者不明/文政10年)
○〈朝師〉紀季録(一乗舎黙翁/文政10年)
○孝連人物考(川瀬友山/天保8年)
○和漢二十四孝(柳下亭種員/江戸後期)
○妙祐往生伝(渋谷芳忠/元禄14年)
泉州岸和田城主、岡部美濃守家中、渋谷孫左衛門芳忠の母である信女妙祐の伝記。元禄13年9月末、大病に罹ってから、翌年3月に行年55歳で大往生するまでの経緯が主。霊夢を見てからの不思議・奇瑞の体験談を詳述する。
○越後孝婦伝(林鳳谷/寛保2年)
越後国三島郡尼瀬町(現・新潟県出雲崎町)の大工・作大夫の妻百合の行状を記した孝婦伝。百合は32歳で、夫が出稼ぎの留守中に11歳の女児と5歳の男児、中風を病み身体不如意の79歳の姑を抱えて一家を守っていた。
○義士夜討高名咄(承天則地/享和3年)
吉良邸討ち入り後の赤穂義士の身柄を、泉岳寺の長恩和尚とともに命がけで預かった広岳院の承天則地和尚が、直接、大石内蔵助らに取材し、各自の証言に基づき詳しく書き留めた記録。
○〈江州日野〉孝子善治行状(門坂善太郎/文化1年)
近江国蒲生郡日野・鍛冶町の孝子・善治(善次)の行状を記した孝子伝。冒頭で「父母の死後迄も不孝を重」ねた作者自身の体験を交えて父母の高恩を述べる。父は傘職人、母は雇われ仕事や賃仕事、績み紡ぎなどで生計を立てる貧家に生まれた善治は、14歳で父が病死、間もなく母が失明し、奉公先に暇願いをして実家に戻り、正心誠意の孝養を尽くした。「子たる者の規矩」であると結ぶ。
○百姓逸八後家はつ孝義状(野田松三郎/文化4年)
山口鉄五郎支配所、野州足利郡上川崎村(現・栃木県足利市川崎町)の百姓逸八の後家はつ(32歳)の孝婦伝。長男が誕生すると間もなく夫は労症(肺結核)を患い死去、はつは老いた舅姑への孝養や介護に心を尽くした。深夜に盗賊が入って姑が殺されかけた時、はつは盗賊の一人に背後から組み付いて姑を助けたが、受けた疵で左腕の自由がきかなくなった。
○孝子奇特を書出(作者不明/文政10年)
阿波国麻植郡西麻植村(現・徳島県吉野川市鴨島町)の百姓・与兵衛ならびに嫡子・与左衛門を始め阿波国における享和~文化年間の孝子11人(全て男性)の行状と褒賞を記録した全7丁の小冊子。
○〈朝師〉紀季録(一乗舎黙翁/文政10年)
室町前期の日蓮宗の僧侶、日朝上人(1422~ 1500)の一代記。日朝の字は鏡澄、号は行学院。伊豆国に生まれ、8歳で出家、28歳で三島の本覚寺を継承、40歳で身延山久遠寺(現在、日蓮宗総本山)法主となる。同寺在職38年の間に、教団発展に対応して堂塔を整え、宗祖日蓮の祖廟を中心とする法則を定めて組織体制を確立、また教義の組織化に努め、天台教学にも造詣が深かった。著作に『法華草案鈔』や『補施集』百余巻など。合計8葉の挿絵。
○孝連人物考(川瀬友山/天保8年)
美濃国大野郡寺内村出身で、天保8年春から孝の実践を旨とする考学道(孝連)を提唱し、天保12年に京都の水火天神(水火天満宮)を拠点に布教活動を展開した作者が、草創期の門人(多くが美濃国在住者)120 人の道歌・金言類とともに、その出身地・氏名・孝名(門人としての呼称)を列記した歌集及び門人一覧。川瀬友山の著作は水火天神神職以後のものが多いが、本書は孝連草創期の組織や活動に関する記述が豊富で貴重。
○和漢二十四孝(柳下亭種員/江戸後期)
嘉永2年(1849)序・刊『〈和漢〉二十四孝図会』の改変・改題本。前半部に中国の『二十四孝』にならって選んだ日本の24人の孝子(仁徳天皇・養老孝子・藤原衛・小野篁・大江挙周・小松内大臣重盛・農民甚助・竹内邑今女・北条泰時・楠正行・後三条院ほか)の小伝と挿絵、後半に中国の二十四孝の小伝と挿絵を集める。各丁とも上方三分の一を小伝にあて、下方三分の二を挿絵とする。
解題者紹介:往来物研究家、往来物倶楽部代表、立正大学・人間総合科学大学非常勤講師、学術博士。(原版作者は各巻参照)
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